さて、先日の広島アート遊覧に引き続き、

広島市現代美術館で開催されていた

マーティン・クリード展について書きます。

予告通りです。

やればできるんです。






マーティンクリードの作品をはじめて観たのは

森美術館で開催されていた

「英国美術の現在史:ターナー賞の歩み」展でした。

歴代のターナー賞受賞者の作品を堪能しつつ

会場を進んでいると…お?

何にも飾ってない部屋?

なに??

パッ

パッ

え??

で、電気がついたり消えたりしてる!

良くみると壁にキャプションがついてます。

マーティン・クリード「電気がついたり消えたり」



う、うそだぁぁ…。



これが僕とクリードさんとの出会いです。

電気がついたり消えたりするだけですよ?

この作品で名誉あるターナー賞とってしまうマーティン・クリード。

彼はいったい何者なのか?

この目で確かめるため広島市現代美術館で開催されている

彼の個展を観てきました。



ST330011




カーテンが開いたりしまったり…

空の靴箱がピラミッドの様に積まれていたり…

釘の大きいのから小さいのが順番に壁に打たれていたり…

A4の紙がクシャっと丸められていたり…



マーティンクリードmartincreed 4


マーティンクリードmartincreed 3


マーティンクリードmartincreed 5


マーティンクリードmartincreed 6




展示されているのはやはり

日常品。

ひたっすらに日常品。

観た事ないもの何か無いんじゃないかってくらい

日常品。



だけど

やはり僕は彼の作品を

観た事が

無いのです。



マーティンクリードmartincreed 2


マーティンクリードmartincreed 1




最初に挙げた電気がついたり消えたりする作品についてですが

これも展示されていたんです。

それでね、

カタログ読むとザっと以下の様な説明があったんですよ。



何も展示されていない部屋の明かりが着いたり消えたりする。

鑑賞者は明るくなったり暗くなったりする部屋で

部屋という空間を再認識する。



しない。

いや、 しないんですよ。

僕はしなかったです。



確かに彼の作品は日常品から成立しています。

だけど、彼の作品そのものは決して日常的ではございません。

これはレディメイドとは全く異なるところにある作品です。

日常にあるもので構成された、非日常的なもの。

でもそれは決して日常から乖離して

日常をあぶりだそうとするものでもなく

あくまで「日常」の側に属しています。



言うなれば

食器を叩いて奏でる音楽が奥歯ガタガタ言うくらいカッコいい。

そういう感じです。



日常品からこんな音が!

その驚きや耳にはいる音楽そのものはもはや非日常であるが、

この音を構成するひとつひとつの音はキッチンでよく聞きますし!

そういう感じです。



電気がついたり消えたりする作品も

空間を再認識するっていうより

「電気ってついたり消えたりするとおもしろいなー」

っていう感じなんです。

これ、全然違う感覚なんです。



こういう

「日常から脱して日常を眺めさせる」のではなく

「日常に居ながらして日常を味わせる」というチカラは

彼の持つ独特のリズム感からきています。



食器を叩く、という例を出したのも適当では無いわけで

とにかくこの人、リズム感がいい。

この「リズム感」は彼のアイデアを作品に昇華している

非常に重要なファクターなんです。

大→小へのリズム。

開→閉へのリズム。

言葉のリズム。

何をとっても彼の作品からは「リズム」を感じます。



このリズムをとる、という行為は

とてもナチュラルな自然発生的なものです。

彼の作品は日常品を素材としているところから

「アイデア勝負」的に見られがちですし

実際僕もそう思ってるふしはありましたが

これが不思議。

変な嫌みを感じないんです。



どっかの誰かが何ヶ月も引きこもってキャンバスに色を重ねるように

どっかの誰かが恐ろしい重さの木材と格闘しながら彫刻を作るように

この人は靴の空箱を並べている。

そんなんでいいんかい!?

ズルいぜ俺でもやれるぜ!

んな事微塵も感じませんでしたね。

とてもナチュラルで、スーっと入ってくるんです。






展示されていた作品の中に

男女4人が真っ白の部屋の真っ白の床に

塗料を吐く、という作品がありました。

マーティンクリードmartincreed 2


ツカツカと画面上に表れてくる人。

ゲロゲロー、ビチャビチャ…

みんな塗料を床に吐きます。

出て来てすんなり吐いて

比較的早く画面から出て行ってしまう人もいれば

指を喉に突っ込んでまでがんばって吐こうとする人もいます。



僕はこの作品から「クリエーション」を感じました。



自分の中にある物を吐き出す。

それが形になる。

簡単で、困難で、理解不能で、僕を惹き付けるんです。

白い床に吐かれた塗料がとても

とても、愛おしく見えました。



マーティン・クリードの塗料の吐き方は

きっと、ダラダラーって感じです。

歩きながら

喋りながら

考えながら

ダラダラ出て来てる感じなんです。

指突っ込んでとかじゃないんです。



だからそこには不思議な親近感があり

ナチュラルに浸透して素直に笑いになり

かつ、独特のリズムが新しい感覚を生むんです。



広島まで観に行った甲斐がありました。

すんげぇいい気持ちです。













僕はよく話をする時二項対立で話をしますが

もはやそんな事どーでもいーっすよね。

日常とか、非日常とか。

二項対立的なものを打ち崩すものが好きだという言説は

世界に二項対立がある事を認めないと成り立たないわけで

そういうのを求め続けるかぎり

僕は二項対立から自由にならないわけで

そうなると僕の思想は進みようないじゃないか。

そもそも二項対立から自由じゃないって

いったいいつの人だ?

しみったれたアンチテーゼ。

全く現代的じゃない。

好きなものは好きでかまいませんが

俺はもっと勉強しなくちゃね。

取り入れ続けないと

また言葉を失っちゃうよ。

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Martin Creed マーティンクリード
公式ホームページ


広島市現代美術館