今日はめずらしいキノコ舞踏団という人たちの
「あなたの寝顔をなでてみる」っていうステージを
吉祥寺シアターで見てきましたよ。








まぁダンスっていうカテゴリーなんだけどもね。
身体表現っていうカテゴリーも陳腐なんだけどね。

例えば
悲しい的な出来事があったとして。
それを悲しいって表象しなきゃいけないのは
人とそれをシェアするためだよ。
それを人とシェアする事によってその感情は
社会のコンテクストに組み込まれるわけであって
何かしらの存在価値が生まれるさ。
もちろん、悲しい的な出来事が起こる時点で既に
外部からの刺激なわけだからある種の社会的文脈の中で
起きている出来事であるってのは前提になるわけなんだけど。







ま、とにかく俺が言いたいのは!
悲しい的な出来事があって悲しい的な感情を抱き
それを悲しいって表象する事によって死んでいく
感情があるってこと!
自分を自分と名付ける前に存在した自分的な。
だって人の感情とか悩みとかって
そんな簡単なものじゃないじゃない?
悲しいって言っちゃえばそれでおしまいだけどさ。
その中にもいろんな複雑な何かが含まれててさ。
もっとぐちゃぐちゃしてるわけじゃない?

それを表現できたら素敵じゃないって思うの。
そういう言語コミュニケーションで伝えようとなると
かなりの語彙力ともにシェア率をもって苦労して
伝えるよう試みるんだけど言語化しちゃうと
どーしてもこぼれてしまうような感情。
それを表現できたら素敵じゃないって思うの。
俺は今日そんな表現に触れたんだよ。

身体っていう新しいボキャブラリーだよ。
ま、俺にとってって話だけど。笑
いや、コンテポラリーダンス的なものに触れる機会は
ちょくちょくあったんから薄々は感じていたんだけど
今日改めて実感しました。

いや、そもそも絵にしろ音楽にせよそういった
言葉じゃなんとも…って部分をなんとかしようって
機能っていうか試みを担っている部分ってのはあるわけ
なんだけどもね。

身体ってすごく適している気がする。
心の中に手を突っ込んで何者かを引っぱり出してくる事に
興味があり憧れがある俺にしてみればかなり興奮もの。

いや、何にしてもそうなんだけどさ!
近い!近いんだよ!身体は!
ジャクソンポロックがその自分の身体性を通して
筆をキャンバスに叩き付けて絵を描いたみたいにさ!
篠原うしお?だっけ?
ボクシングペインティングの人…
あの人がキャンバス殴って絵描くみたいにさ!
自分にすら予期できない自分の中にいる何かを
ひっぱりだしていこうって時にね!
すごくこう……可能性を感じる!

でも、彼女達のすごいところがさ
完全にオートマティックに感じさせないところなんだよなぁ。
ちゃんとストーリーがあって動きひとつひとつに意味がある
気がして構築されている気がしちゃうんだな☆
でも、それはすごくオートマティックで今身体が動くままに
動いているだけですって感じもしちゃうんだな☆

もっかいみたい!
どこまで構築されてんだ!
どこまでオートマティックなんだ!
いやぁ、でも構築してんだろうなぁ。
それはそれですげぇなぁ。

ストーリーの展開も素敵なんだ♪
少女の持つ夢のメルヘン。
残酷さ、純粋さ。
そんなものを持って成長する少女。
内々だったそのテーマが人と関わる事によって
だんだん世界と関わっていく事になる。
だ、だ、だ、だけどそのうちどこが夢で
どこが現実だかわからなくなってくるんだな!
こ、これ喋っちゃったらできないと思うんだよ!
身体と音楽で表現するからこそ
あくまで感覚的なイメージで自分中に入ってくるっていうかさ!

ん〜興味あるぜぇ。
そして俺はあんまりこの分野に精通してないから
もっと比較対象を持って深めたい!

俺にもそんなボキャブラリーが欲しい。
ん〜やはり頭蓋骨を割って脳みそ引きずりだして
RGBコード繋いでモニターに出力するしかねぇか!

あはは♪
いいぞ♪
すごくいい気分だ☆