死体ってのは究極のフェティシズムだと思うんです。
その人は人生という文脈から切り離され、
意味を失い、過去も未来もなく
ただ人の形をした何かになる。
するとそこに見慣れたはずの
人間の身体なるものに
ある種の神秘性が宿る。
抜けた髪の毛を見る憎悪。
人が脱いだ靴に覚える性的倒錯。
その究極形とも言える、意味を失った身体。死体。
身体という造形物の形、色、肌触り。
思考を通して捉える必要のなくなった身体には
視覚的触覚的感覚がフル稼働して向けられ
そして我々は、「身体」に再会する。
フェティシズムという言葉が
人類学的に呪物崇拝としても
心理学的に性的倒錯としても
その「モノ」に対する偏執狂的な愛着を
その「モノ」の持つコンテクストではなく
その「モノ」に対する偏執狂的な愛着を意味するとならば
やはり死体ってのはものすごいフェティッシュだと思う。
なんか、相変わらずそういう事に興味はあるんだよね。
別に自分が死体好きだとか言ってるんじゃなくて。
意味が剥奪されたものに興味があるんだ。すごく。
だから、この作品も気になってたのに…。
だから、期待していたのに…。

伊島薫という写真家の作品。
女優やら歌手やらを死体に見立てて写真を撮るってもの。
その写真集「最後に見た風景」を購入。
この本に収まってる人たちは以下の通り。
井川遥、板谷由夏、UA、加藤あい & 中島美嘉
小池栄子、タニア・ドゥ・イェーガー、富永愛
ともさかりえ、夏木マリ、長谷川京子
何だか誰でも知ってそうな有名な方々が、死んでるんです。
居酒屋の前で、パチンコ屋で、空港で。血流して。
正直上記の人たちにあんまり興味はない。
だけど、この人たちの疑似死体だとなると話は違う。
いや、別にこの人たちの疑似死体じゃなくっていいんだよ。
だって、疑似死体なんだから。
誰だっていいじゃない。
誰だって無いんだから。
誰も無くなった、ただの身体としての美しさ。
それに出会いたい。
って思っていたんだよ…。
そして彼ならそれに出会わせてくれるって思ってたんだよ。
だけど…残念。
正確に言えば、彼が撮っているのは死体ではなかった。
身につけた衣服、アクセサリー、カバン。
倒れている場所。死因を示唆する何か。
その死体はあまりにも多くの事を語り過ぎてる。
いくら人が無言だからって
環境がこんなにおしゃべりじゃ、そこに静寂の「せ」の字もない。
なんかもう生き生きしてるんですよ。死体のくせに。

ああ!周りの状況から多くの事を読み取ってしまう!
人は死んだって意味の呪縛からは逃れられんのでしょうか…
俺が死体に抱いていたのは単なる幻想でしょうか…。
そうだよなぁ…そもそも死んだからって
その人が人生の文脈からいきなり切り離されるわけないもんなぁ…
ん〜これは考え直さねばなりませんなぁ…
でも、とにかく、俺がこの写真集から感じたのは
死体としての美しさではなく、生身の人間としての美しさ。
結局のところ、ファッションフォトなのでしょうか…。
__________________

伊島薫(イジマカオル)「最後に見た風景」
出版社: 美術出版社 (2004/10)
その人は人生という文脈から切り離され、
意味を失い、過去も未来もなく
ただ人の形をした何かになる。
するとそこに見慣れたはずの
人間の身体なるものに
ある種の神秘性が宿る。
抜けた髪の毛を見る憎悪。
人が脱いだ靴に覚える性的倒錯。
その究極形とも言える、意味を失った身体。死体。
身体という造形物の形、色、肌触り。
思考を通して捉える必要のなくなった身体には
視覚的触覚的感覚がフル稼働して向けられ
そして我々は、「身体」に再会する。
フェティシズムという言葉が
人類学的に呪物崇拝としても
心理学的に性的倒錯としても
その「モノ」に対する偏執狂的な愛着を
その「モノ」の持つコンテクストではなく
その「モノ」に対する偏執狂的な愛着を意味するとならば
やはり死体ってのはものすごいフェティッシュだと思う。
なんか、相変わらずそういう事に興味はあるんだよね。
別に自分が死体好きだとか言ってるんじゃなくて。
意味が剥奪されたものに興味があるんだ。すごく。
だから、この作品も気になってたのに…。
だから、期待していたのに…。

伊島薫という写真家の作品。
女優やら歌手やらを死体に見立てて写真を撮るってもの。
その写真集「最後に見た風景」を購入。
この本に収まってる人たちは以下の通り。
井川遥、板谷由夏、UA、加藤あい & 中島美嘉
小池栄子、タニア・ドゥ・イェーガー、富永愛
ともさかりえ、夏木マリ、長谷川京子
何だか誰でも知ってそうな有名な方々が、死んでるんです。
居酒屋の前で、パチンコ屋で、空港で。血流して。
正直上記の人たちにあんまり興味はない。
だけど、この人たちの疑似死体だとなると話は違う。
いや、別にこの人たちの疑似死体じゃなくっていいんだよ。
だって、疑似死体なんだから。
誰だっていいじゃない。
誰だって無いんだから。
誰も無くなった、ただの身体としての美しさ。
それに出会いたい。
って思っていたんだよ…。
そして彼ならそれに出会わせてくれるって思ってたんだよ。
だけど…残念。
正確に言えば、彼が撮っているのは死体ではなかった。
身につけた衣服、アクセサリー、カバン。
倒れている場所。死因を示唆する何か。
その死体はあまりにも多くの事を語り過ぎてる。
いくら人が無言だからって
環境がこんなにおしゃべりじゃ、そこに静寂の「せ」の字もない。
なんかもう生き生きしてるんですよ。死体のくせに。
ああ!周りの状況から多くの事を読み取ってしまう!
人は死んだって意味の呪縛からは逃れられんのでしょうか…
俺が死体に抱いていたのは単なる幻想でしょうか…。
そうだよなぁ…そもそも死んだからって
その人が人生の文脈からいきなり切り離されるわけないもんなぁ…
ん〜これは考え直さねばなりませんなぁ…
でも、とにかく、俺がこの写真集から感じたのは
死体としての美しさではなく、生身の人間としての美しさ。
結局のところ、ファッションフォトなのでしょうか…。
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伊島薫(イジマカオル)「最後に見た風景」
出版社: 美術出版社 (2004/10)
