この仕事をしてると、展覧会のチケットが無料で手に入ります。興味があるのも無いのも。アネット・メサジェは興味が無い方でした。チラシを見てガーリー?ファンシー?もういいよ。と思っていたんですが、大変申し訳ありませんでした。度肝を抜かれました。結果、今私に度肝はございません。



-世界の分解力と世界の再構築力-




アネット・メサジェ(1943)はフランスのアーティスト。ベネチアビエンナーレで金獅子賞をとったので有名。そんな彼女の個展が森美術館で開催されています。パリのポンピドゥーセンターからの巡回らしく、ソウルやらを回って1年かけて東京にきてくれました。


展示を観て感じたのは、彼女の世界の分解力。そして再構築力。つまり、たこ焼きを小麦粉やら水やらに分解して、そこからお好み焼きを再構築するような、そんなチカラです。






まずこのチカラはアッサンブラージュ(とかって領域じゃないケド)として現れます。動物の剥製の体についたぬいぐるみの頭。動物の剥製の頭についたぬいぐるみの体。それらのオブジェはブランコに乗ってに宙にぶら下がってます。ブランコは鏡になっていて見上げると自分が写ります。動物の剥製というとても百科事典的な、合理的な、理性的な、科学的なモチーフ。そしてぬいぐるみというとても個人的な、情緒的な、経験的なモチーフ。もし世界が公と私、私と他で構成されるとするならば、それがひとつにまとまったこの作品は世界そのものです。客観的な公(剥製)と私(ぬいぐるみ)、そしてそれを捉えている鏡に映った自分。世界のすべてがそこにありました。作品タイトルは「彼らと私たち、私たちと彼ら」。そゆことです。はいってすぐこの作品があるのですが、満足したんで帰ろうかと思ったくらいです。


そして、彼女の分解力は人体にもおよびます。「解剖学」という作品。脳や心臓、肺や胃などのイメージが壁に張り付き、それを青や赤の糸が結んでいます。その糸は血管を連想させ、壁一面に広がる人体を我々は目にします。人体をアネット・メサジェが解体し、それを再構築する。これはすごくわかりやすい。

この世界を私がとらえ、それをまた私がキャンバスなりなんなりに再構築するというプロセスは、作家という主観や個人という主体が確立し始める19世紀後半からは、当然と言っていいくらい原理的なものとなりました。ピカソだってルノアールだって自分なりに世界を分解し、再構築しています。もはや当たり前。目に見える世界を、誰もが捉えられる世界を表現することに美術の価値は無い。作家は世界を一度分解し、それを再構築する。そんな原理を、近代からの美術の原理を、彼女はしっかりと踏襲している様に思います。誰もやってない事をやろう的な現代美術でもなく、自分が出発点で自分が終着点的な現代美術でもなく…世界を捉え、それを世界にフィードバックさせます。「社会性」とよばれるものかもしれません。









そして、「カジノ」。ピノキオの世界を彼女が再構築したもの。の一部。なんという空間構成力、いや、支配力。赤い布、空気、投影される画像、ぶら下がるオブジェ、光、ゴーッという布に空気が送り込まれる音、キュル…キュルというモーターがぶら下がったオブジェを下ろす音…息をのむ…すべてが絶妙に絡み合って物語を織り成す。ピノキオが飲まれたクジラの中??人間になる??なんじゃそりゃ??思考停止。すべてが奪われる。この感覚がほしくて美術を観にいくんです、俺は。


この作品の後の展示は…正直あんまりちゃんと向き合えませんでした。もう、いっぱいになってしまって。なんか序盤で吸収しすぎたってか…うわーーってなり過ぎちゃって…そんで中盤「カジノ」で右ストレート食らって…もうフラフラしながら会場でました。





間違いなく、彼女はアーティストです。画家でも、彫刻家でも、哲学者でもない。彼女はアーティストです。既存の世界を捉える。分解する。再構築する。それを観る人の世界は相対化される。その人は自分の世界の惰性化に気付き、少し新しいことを考える。主体的になる。

アネット・メサジェの作品はよく、ぶら下がっている。だら〜っと。ベルクソンを思い出します。「腕をあげるという行為は生に溢れてる」。俺はぶら下がりたくない。重力に負けず、腕をあげ続けたい。

だから、彼女のような「アーティスト」に、出会い続けたいのです。



アネット・メサジェ 「聖と俗の使者たち」

会場: 森美術館
スケジュール: 2008年08月09日 〜 2008年11月03日
9月23日(火)は22:00まで
住所: 〒106-6150 東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー 53F
電話: 03-5777-8600



にほんブログ村 美術ブログ 現代美術へ
にほんブログ村 美術ブログへ