現代アートって何って言われると、今だにすこし困ってしまうけど、現代アートって言われるものを頻繁に見るようになって、よく感じる事がある。それは自分が揺らぐ、という感覚。今まで当たり前だと思い込んでる事とか、いつのまにか作り上げてしまった固定概念が、壊れていく感覚。作品を鑑賞する事によって出会った事の無い感情が沸き上がったり、言葉にできない感覚と向き合ったり、捉えようの無い違和感を覚えたりすると、「自分」が揺らぐ。今までの「自分」が少し壊れる。その感覚は、最高に快感。金沢21世紀美術館で観たロン・ミュエック展で、改めてそんな感覚に快感を覚え興奮する自分に気がついた。
ロン・ミュエックはオーストラリア出身の作家さんで昔は映画とか番組とかで使う造形をやってた人みたい。そんな彼が色んなきっかけでアートの世界に入って、今は超リアルな人間の立体を作ってる。まるである瞬間人間の時間を止めてそのまま持ってきたみたいなリアルさで、皮膚の暖かみ、柔らかさ、血管の浮き、それら身体の質感が見事に表現され、本当に、リアルとしか言い様がないくらいリアルな立体造形。
人間の立体造形。
彼らはみんな何かしらの表情をうかべ、何かを考え、何かを思っているに違いないのんだけど、それがすべてリアル過ぎて、逆にそこに想像力が働かなかった…。この人がどんな境遇の人で、どんな環境にいて、こんな事を考えているんだろうなってそこに想像力が働かなかった…。なんというか、ある文脈の一部を切り取ってそれを作品として展示してるんだろうけど、リアルすぎて、それが「身体」でしか無くて、そこで完結している。俺にとっては、なんというか、それ以上思考が広がからなかった。それくらいリアルだった。


そんな彼の作品の中で唯一リアルでないものがある。それが大きさだ。大きかったり、小さかったりするのだけれど、とにかく実寸ではない。むちゃくちゃでかい赤ん坊、50cmくらいのカップル、2mくらいの人の顔、など、とにかく大きさのみ、リアルではない。この大きさが非常に気持ちが悪い、違和感を生む、自分を揺るがす、非常に絶妙な大きさのチョイスなのだ。なんだかうまく言えないんだけど、例えば、リンゴを想像して欲しい。まぁ、10〜15cmの物が「リアル」な大きさと言っていいと思う。で、例えばここに10mのリンゴがあったらどうだろう?何かもうそれはリンゴと認識できない領域にいってしまう気がする…。が、30cmくらいのリンゴなら「えー気持ち悪い!新種のリンゴ!?」みたいなギリギリリンゴとして認識できるのではないだろうか?何か、ロン・ミュエックの作品にもそういった絶妙なサイズの設定を感じるのだ。赤ん坊は赤ん坊であることを忘れずに5m程の大きさになり、カップルもカップルである事を忘れずに50cmの大きさになっている。つまりロン・ミュエクの作品は内容的な変容を回避しつつ、形的な変容が強大に表れるているのだ。そりゃ、観るものの感覚は揺らぐ。俺の感覚も揺らぐ揺らぐ…。
そんなロン・ミュエクの作品にくらくらしながら、あるひとりの画家の事を思い出した。ベルギーの画家ルネ・マグリットについてだ。大好きな作家のひとりで、卒論も彼について書いた。彼もとても写実的なタッチで、リアルに日常のものをキャンバスに描き、またその大きさを変容させた。彼とロン・ミュエクをすこし、ダブらせたりした。


マグリットもあるモノの大きさを変容し違和感を生む。この点ではロン・ミュエックと共通する。だが、マグリットが生む違和感はモノとモノの生み出す前後関係から生まれる違和感だ。上の「個人的な価値」という作品においては日常品のサイズが大きい。だが、部屋が小さいという可能性もある。つまりあくまで比べて違和感がうまれるものであって、その単体の大きさを絶対値として感じているわけではない。そりゃ、絵だからね。2mのコップを描きますって2mのキャンバスを用意するわけじゃない。でも、2mのコップを彼は描く。彼はモノを相対的に見せることによって、違和感を生む。だが、ロン・ミュエックの生む違和感は絶対的だ。そりゃ、5mの赤ちゃんです、って5mの赤ちゃんつくる。それは何かにくらべて5mなわけじゃないし、絶対に5mなのだ。鑑賞者と並んで相対的にみてる、頭の中のイメージの「赤ん坊」と並べて相対的にみてる、と、そう言えばそうかもしれない。だけどマグリットには無い絶対性が、ロン・ミュエックの作品にはある。そんな気がした。立体というツールから生まれる、マグリットとは違う、そして同じ、何かを感じる。どっちが優れているとか、どっちが正しいとかじゃなくて、俺は今大好きなマグリットと同じ匂いの違う色に触れている。それがとても嬉しかった。絵画と立体という表現方法の違いもあるし、もちろん時代の違いもある。だけど、ロン・ミュエックが何か乗り越えている、というか、確実に新しいものを提供しているという気がして、とても嬉しくなり、とても好きになった。本当に見れてよかった。美術史を感じた。
とにかく、すごく良い展示だった。作品数はそんなに多いって感じじゃないけど、見応えある作品ばかりだし、同時開催のコレクション展も充実してた。やっぱり何より21世紀美術館が素敵。あのコンセプト、建築空間…俺は大好きです。いや、ロン・ミュエックの個展をやるその企画力っていうか、実現力っていうか…そういうのもほんと素敵だと思います。これ逃す手はないぜ。金沢21世紀美術館「ロン・ミュエック展」…リアルな表現とリアルじゃない大きさ。それが生む違和感に固定的な感覚は揺らぐ揺らぐ。みなさん是非ロン・ミュエックの作品にくらくらしてきてくださいな。


ロン・ミュエックはオーストラリア出身の作家さんで昔は映画とか番組とかで使う造形をやってた人みたい。そんな彼が色んなきっかけでアートの世界に入って、今は超リアルな人間の立体を作ってる。まるである瞬間人間の時間を止めてそのまま持ってきたみたいなリアルさで、皮膚の暖かみ、柔らかさ、血管の浮き、それら身体の質感が見事に表現され、本当に、リアルとしか言い様がないくらいリアルな立体造形。
人間の立体造形。
彼らはみんな何かしらの表情をうかべ、何かを考え、何かを思っているに違いないのんだけど、それがすべてリアル過ぎて、逆にそこに想像力が働かなかった…。この人がどんな境遇の人で、どんな環境にいて、こんな事を考えているんだろうなってそこに想像力が働かなかった…。なんというか、ある文脈の一部を切り取ってそれを作品として展示してるんだろうけど、リアルすぎて、それが「身体」でしか無くて、そこで完結している。俺にとっては、なんというか、それ以上思考が広がからなかった。それくらいリアルだった。

そんな彼の作品の中で唯一リアルでないものがある。それが大きさだ。大きかったり、小さかったりするのだけれど、とにかく実寸ではない。むちゃくちゃでかい赤ん坊、50cmくらいのカップル、2mくらいの人の顔、など、とにかく大きさのみ、リアルではない。この大きさが非常に気持ちが悪い、違和感を生む、自分を揺るがす、非常に絶妙な大きさのチョイスなのだ。なんだかうまく言えないんだけど、例えば、リンゴを想像して欲しい。まぁ、10〜15cmの物が「リアル」な大きさと言っていいと思う。で、例えばここに10mのリンゴがあったらどうだろう?何かもうそれはリンゴと認識できない領域にいってしまう気がする…。が、30cmくらいのリンゴなら「えー気持ち悪い!新種のリンゴ!?」みたいなギリギリリンゴとして認識できるのではないだろうか?何か、ロン・ミュエックの作品にもそういった絶妙なサイズの設定を感じるのだ。赤ん坊は赤ん坊であることを忘れずに5m程の大きさになり、カップルもカップルである事を忘れずに50cmの大きさになっている。つまりロン・ミュエクの作品は内容的な変容を回避しつつ、形的な変容が強大に表れるているのだ。そりゃ、観るものの感覚は揺らぐ。俺の感覚も揺らぐ揺らぐ…。
そんなロン・ミュエクの作品にくらくらしながら、あるひとりの画家の事を思い出した。ベルギーの画家ルネ・マグリットについてだ。大好きな作家のひとりで、卒論も彼について書いた。彼もとても写実的なタッチで、リアルに日常のものをキャンバスに描き、またその大きさを変容させた。彼とロン・ミュエクをすこし、ダブらせたりした。

マグリットもあるモノの大きさを変容し違和感を生む。この点ではロン・ミュエックと共通する。だが、マグリットが生む違和感はモノとモノの生み出す前後関係から生まれる違和感だ。上の「個人的な価値」という作品においては日常品のサイズが大きい。だが、部屋が小さいという可能性もある。つまりあくまで比べて違和感がうまれるものであって、その単体の大きさを絶対値として感じているわけではない。そりゃ、絵だからね。2mのコップを描きますって2mのキャンバスを用意するわけじゃない。でも、2mのコップを彼は描く。彼はモノを相対的に見せることによって、違和感を生む。だが、ロン・ミュエックの生む違和感は絶対的だ。そりゃ、5mの赤ちゃんです、って5mの赤ちゃんつくる。それは何かにくらべて5mなわけじゃないし、絶対に5mなのだ。鑑賞者と並んで相対的にみてる、頭の中のイメージの「赤ん坊」と並べて相対的にみてる、と、そう言えばそうかもしれない。だけどマグリットには無い絶対性が、ロン・ミュエックの作品にはある。そんな気がした。立体というツールから生まれる、マグリットとは違う、そして同じ、何かを感じる。どっちが優れているとか、どっちが正しいとかじゃなくて、俺は今大好きなマグリットと同じ匂いの違う色に触れている。それがとても嬉しかった。絵画と立体という表現方法の違いもあるし、もちろん時代の違いもある。だけど、ロン・ミュエックが何か乗り越えている、というか、確実に新しいものを提供しているという気がして、とても嬉しくなり、とても好きになった。本当に見れてよかった。美術史を感じた。
とにかく、すごく良い展示だった。作品数はそんなに多いって感じじゃないけど、見応えある作品ばかりだし、同時開催のコレクション展も充実してた。やっぱり何より21世紀美術館が素敵。あのコンセプト、建築空間…俺は大好きです。いや、ロン・ミュエックの個展をやるその企画力っていうか、実現力っていうか…そういうのもほんと素敵だと思います。これ逃す手はないぜ。金沢21世紀美術館「ロン・ミュエック展」…リアルな表現とリアルじゃない大きさ。それが生む違和感に固定的な感覚は揺らぐ揺らぐ。みなさん是非ロン・ミュエックの作品にくらくらしてきてくださいな。