す、すいません。
ニューヨーク編はちょっと置いといていいですか?
もうグダグダですいません…。
スパイク・ジョーンズ監督の
「かいじゅうたちのいるところ」みてきました。
やんちゃなマックス少年がお母さんに怒られ
「かいじゅうたちのいるところ」に行き
帰ってくる。という話です。超簡単にいえば。
モーリス・センダックの絵本を原作に
スパイク・ジョーンズ監督が作ったこの映画。
これを観た今、あえて、絵本について書いてみようと思う。
あ、でもま、映画についてっちゃ
映画についてなんですけど…

僕はこの絵本が好きだ。
というのも現実と非現実の間に
緩やかな連続性とグラデーションを感じるからなんです。
主人公が不思議な国にいっちゃう系の多くは
その入り口が唐突。
穴に落ちる、とか。
タンスの裏に入り口がある、とか。
ナンブンノナンバンセンの電車に乗る、だとか。
でもこの話でマックスが怪獣達の世界に行くのは
少し違う。
部屋に木が生えてきて、育って森になる。
そして
”the walls became the world all around”
壁が、世界になる。とでも直訳できます?
壁を越えて何か別の新しい世界ってニュアンスでも無いんです。
今、そこにあるものが変わっていく。
また、マックスの部屋の窓から月が見えるのですが
この月は「かいじゅうたちのいるところ」に行っても
ずっとマックスの事を照らし続けてる。
こーゆーところが大好きなんです。
怪獣達のいる場所はきっとマックスが作り出した場所。
マックスの心の奥にある場所。
その場所とマックスの部屋に連続性を描いている事に
興奮せずにはいられないわけです。
(この連続性を描く事で
怪獣達がいる場所=マックスの心の中
ということが必然性を帯びる)
アリスが不思議の国にいってテンテコマイするのとは
本質的に違う。
マックスは自分の作り出した世界
で自分を解放して自分と向き合う。
その世界は緩やかにマックスの部屋と手を結び
マックスはその世界での経験を
自分の家族にフィードバックさせる。
かいじゅうたちのいるところには
決して壮大な広がりは見せない、個人的な
でもしっかりと地に足のついた円環があります。
だからリアリティがあるんです。
ある種のマインドダイブなんです。
そして、現実/異世界(マインド)を
暴力なボーダーで線引きしないこの作品に
非常に共感を覚えるわけです。
この連続性。
現実と、異世界との連続性
というのは正しくないでしょう。
そういったボーダーは無いわけですから。
マックスの部屋と
かいじゅうたちのいるところの
連続性。
この連続性が
映画ではより、鮮明に描きだされています。
わかりやすいなぁってくらいでしたが
そうなんだよ!
やっぱり、この作品は、そこなんだよ!
と再認識。
なんともいい気分なのです。
映画「かいじゅうたちのいるところ」公式HP
ニューヨーク編はちょっと置いといていいですか?
もうグダグダですいません…。
スパイク・ジョーンズ監督の
「かいじゅうたちのいるところ」みてきました。
やんちゃなマックス少年がお母さんに怒られ
「かいじゅうたちのいるところ」に行き
帰ってくる。という話です。超簡単にいえば。
モーリス・センダックの絵本を原作に
スパイク・ジョーンズ監督が作ったこの映画。
これを観た今、あえて、絵本について書いてみようと思う。
あ、でもま、映画についてっちゃ
映画についてなんですけど…

僕はこの絵本が好きだ。
というのも現実と非現実の間に
緩やかな連続性とグラデーションを感じるからなんです。
主人公が不思議な国にいっちゃう系の多くは
その入り口が唐突。
穴に落ちる、とか。
タンスの裏に入り口がある、とか。
ナンブンノナンバンセンの電車に乗る、だとか。
でもこの話でマックスが怪獣達の世界に行くのは
少し違う。
部屋に木が生えてきて、育って森になる。
そして
”the walls became the world all around”
壁が、世界になる。とでも直訳できます?
壁を越えて何か別の新しい世界ってニュアンスでも無いんです。
今、そこにあるものが変わっていく。
また、マックスの部屋の窓から月が見えるのですが
この月は「かいじゅうたちのいるところ」に行っても
ずっとマックスの事を照らし続けてる。
こーゆーところが大好きなんです。
怪獣達のいる場所はきっとマックスが作り出した場所。
マックスの心の奥にある場所。
その場所とマックスの部屋に連続性を描いている事に
興奮せずにはいられないわけです。
(この連続性を描く事で
怪獣達がいる場所=マックスの心の中
ということが必然性を帯びる)
アリスが不思議の国にいってテンテコマイするのとは
本質的に違う。
マックスは自分の作り出した世界
で自分を解放して自分と向き合う。
その世界は緩やかにマックスの部屋と手を結び
マックスはその世界での経験を
自分の家族にフィードバックさせる。
かいじゅうたちのいるところには
決して壮大な広がりは見せない、個人的な
でもしっかりと地に足のついた円環があります。
だからリアリティがあるんです。
ある種のマインドダイブなんです。
そして、現実/異世界(マインド)を
暴力なボーダーで線引きしないこの作品に
非常に共感を覚えるわけです。
この連続性。
現実と、異世界との連続性
というのは正しくないでしょう。
そういったボーダーは無いわけですから。
マックスの部屋と
かいじゅうたちのいるところの
連続性。
この連続性が
映画ではより、鮮明に描きだされています。
わかりやすいなぁってくらいでしたが
そうなんだよ!
やっぱり、この作品は、そこなんだよ!
と再認識。
なんともいい気分なのです。
映画「かいじゅうたちのいるところ」公式HP
