MoMAへ行った感想を書きます。
予備知識は抜きです。
美術館のシステムや歴史への評価でもないです。
自分が見てきたその断面の感想です。
ズバリ「なんとまぁ、受け皿の広い美術館だ」という印象。
移動手段やら運送手段やらはたまたバーチャル体験などを通して
「遠くのものを観る」という事がどんどんと簡単になって行く昨今。
無論美術館に大しても同じ事が言えるわけで
作品はあっちいったり、こっち行ったり
本当の意味で「そこでしか見れないもの」をキープするってのも
なかなか難しくなってるわけです。
だからそのコレクション(何の作品が見れますよー)
という独自性だけでなく
建築そのものをアイデンティティとしたり
奇抜な企画展をやってみたり
美術館もがんばっているわけです。
で、ニューヨーク近代美術館。
もうこれ世界レベルで有名な美術館ですよね。
わざわざ何十万も払って
何十時間もかけて
ニューヨークまで行って
MoMAに行く人がまぁいるんでしょう。俺だけじゃなく。
それを可能にしているMoMAの独自性
魅力とはいったい何なのでしょうか?
まぁ、その説明はなんやかんや言われてますが
そういうの抜きで、フラットな気持ちで、見てきました。
お前はいったい何者なのか。
MoMAとにらめっこしてきましたよ。
で、その率直な感想が「なんとまぁ、受け皿の広い美術館だ」
という事。
教科書作品を大量に含むコレクションで
美術愛好家(近代好き)をカバー。
前衛的な企画展をやって美術愛好家(現代好き)をカバー。
キャッチーなティム・バートンの企画展とかもやっちゃって
一般層をカバー。
まさに優等生、という印象。
奇抜さによる独自性ではなく、普遍性による独自性とでも言うか。
簡単に言えば、手広い。
「あなたの好きなもの、きっと見つかる。」
デザインなんかも楽しめちゃうわけで
こりゃもう広すぎってくらい広い。
でそうなると、もちろん、人によって好き嫌いがでる。
この展示は観たいけど、この展示は観ない。
この展示は好きだけど、この展示は嫌いだった。
選らばな。
無論、俺もそうだった。
コレクションなんかは別に何ともなかった。
ジャクソン・ポロックの大作が観れて嬉しい、くらいなもんです。
確かに、確かに、ダリもモンドリアンもマグリットもモネもあった。
もう好きな作家がたくさんでした。
だけど、別にそんなブッ飛んだ感動があるわけでは無い。
「うん。やっぱりいいね!」
「お。この作品は良く描けてんね!」
いつもの美術館に出掛ける感覚と同じです。
でも、そりゃそうですよね。
別にMoMAを神聖化してたわけじゃないですけど
何か偉い期待をしていたようで。
先日束芋の個展観に横浜美術館行ったのですが
ついでにコレクションも観てきまして。
したらコンスタンティン・ブランクーシの空間の鳥あるでしょ?
(全く同じ作品がMoMAにもある)
マン・レイの「不滅のオブジェ」あるでしょ?
(全く同じ作品がMoMAにもある。
町田市版画美術館にもあった気がする…)
エルンストあるでしょ?
マグリットあるでしょ?
ダリの大作あるでしょ?
まぁまぁクオリティどうこう、
代表作どうこうっていうのはあると思うんですよ。
マン・レイとかブランクーシとかはマルティプルだし。
でも、「そうよね。日本でもみれるよね」という感じはありました。
(これ自分でも不思議だったんですけどね。
たとえばダリの作品を観ることと
ダリの「記憶の固執」を観ることって全然違うじゃないですか。
でもなんでかそこが響かなかった…。
そういう目が無いとしたら致命的だな…。)
日本の美術館コレクションも捨てたもんじゃないなぁ。とか
世界のMoMAコレクションもたいしたことないなぁ。とか
そういう話じゃないんです。
ただ、世界は思ったよりグローバルだった。
作品は海を渡ってるわけですね。たくさん。
と思った。
えー!今更ー!みたいな感じですけど
海外の美術館行った経験ってあんまり無いんですよ…。
前韓国行ったくらいで。
日本の作品が世界に散って、
世界の作品も日本に入ってきて…
あぁ、なるほどなぁ、っと。
初めて実感しましたよ。
MoMAコレクション。
まぁ、すごい顔ぶれなんですけどね。
一方、企画展ですが
(ティム・バートンは観ていないのでノーコメントです)
攻めてました。
もう、ひくくらい攻めてました。
これがとても刺激的で、素晴らしかった。
次はその企画展について書いてみます。
_______________
ダラダラと長文すいません…。
写真をあげたいのですが…
なんかインターフェイスが変わっていて
うまく…できません…
前回の記事もやたら写真でかいし…。
勉強します…;;
予備知識は抜きです。
美術館のシステムや歴史への評価でもないです。
自分が見てきたその断面の感想です。
ズバリ「なんとまぁ、受け皿の広い美術館だ」という印象。
移動手段やら運送手段やらはたまたバーチャル体験などを通して
「遠くのものを観る」という事がどんどんと簡単になって行く昨今。
無論美術館に大しても同じ事が言えるわけで
作品はあっちいったり、こっち行ったり
本当の意味で「そこでしか見れないもの」をキープするってのも
なかなか難しくなってるわけです。
だからそのコレクション(何の作品が見れますよー)
という独自性だけでなく
建築そのものをアイデンティティとしたり
奇抜な企画展をやってみたり
美術館もがんばっているわけです。
で、ニューヨーク近代美術館。
もうこれ世界レベルで有名な美術館ですよね。
わざわざ何十万も払って
何十時間もかけて
ニューヨークまで行って
MoMAに行く人がまぁいるんでしょう。俺だけじゃなく。
それを可能にしているMoMAの独自性
魅力とはいったい何なのでしょうか?
まぁ、その説明はなんやかんや言われてますが
そういうの抜きで、フラットな気持ちで、見てきました。
お前はいったい何者なのか。
MoMAとにらめっこしてきましたよ。
で、その率直な感想が「なんとまぁ、受け皿の広い美術館だ」
という事。
教科書作品を大量に含むコレクションで
美術愛好家(近代好き)をカバー。
前衛的な企画展をやって美術愛好家(現代好き)をカバー。
キャッチーなティム・バートンの企画展とかもやっちゃって
一般層をカバー。
まさに優等生、という印象。
奇抜さによる独自性ではなく、普遍性による独自性とでも言うか。
簡単に言えば、手広い。
「あなたの好きなもの、きっと見つかる。」
デザインなんかも楽しめちゃうわけで
こりゃもう広すぎってくらい広い。
でそうなると、もちろん、人によって好き嫌いがでる。
この展示は観たいけど、この展示は観ない。
この展示は好きだけど、この展示は嫌いだった。
選らばな。
無論、俺もそうだった。
コレクションなんかは別に何ともなかった。
ジャクソン・ポロックの大作が観れて嬉しい、くらいなもんです。
確かに、確かに、ダリもモンドリアンもマグリットもモネもあった。
もう好きな作家がたくさんでした。
だけど、別にそんなブッ飛んだ感動があるわけでは無い。
「うん。やっぱりいいね!」
「お。この作品は良く描けてんね!」
いつもの美術館に出掛ける感覚と同じです。
でも、そりゃそうですよね。
別にMoMAを神聖化してたわけじゃないですけど
何か偉い期待をしていたようで。
先日束芋の個展観に横浜美術館行ったのですが
ついでにコレクションも観てきまして。
したらコンスタンティン・ブランクーシの空間の鳥あるでしょ?
(全く同じ作品がMoMAにもある)
マン・レイの「不滅のオブジェ」あるでしょ?
(全く同じ作品がMoMAにもある。
町田市版画美術館にもあった気がする…)
エルンストあるでしょ?
マグリットあるでしょ?
ダリの大作あるでしょ?
まぁまぁクオリティどうこう、
代表作どうこうっていうのはあると思うんですよ。
マン・レイとかブランクーシとかはマルティプルだし。
でも、「そうよね。日本でもみれるよね」という感じはありました。
(これ自分でも不思議だったんですけどね。
たとえばダリの作品を観ることと
ダリの「記憶の固執」を観ることって全然違うじゃないですか。
でもなんでかそこが響かなかった…。
そういう目が無いとしたら致命的だな…。)
日本の美術館コレクションも捨てたもんじゃないなぁ。とか
世界のMoMAコレクションもたいしたことないなぁ。とか
そういう話じゃないんです。
ただ、世界は思ったよりグローバルだった。
作品は海を渡ってるわけですね。たくさん。
と思った。
えー!今更ー!みたいな感じですけど
海外の美術館行った経験ってあんまり無いんですよ…。
前韓国行ったくらいで。
日本の作品が世界に散って、
世界の作品も日本に入ってきて…
あぁ、なるほどなぁ、っと。
初めて実感しましたよ。
MoMAコレクション。
まぁ、すごい顔ぶれなんですけどね。
一方、企画展ですが
(ティム・バートンは観ていないのでノーコメントです)
攻めてました。
もう、ひくくらい攻めてました。
これがとても刺激的で、素晴らしかった。
次はその企画展について書いてみます。
_______________
ダラダラと長文すいません…。
写真をあげたいのですが…
なんかインターフェイスが変わっていて
うまく…できません…
前回の記事もやたら写真でかいし…。
勉強します…;;

広く浅く言えば。